最近では様々なお墓のカタチが存在し、お墓を購入する側がご自身の状況や事情に合うお墓のカタチを探しやすくなってきています。
高度経済成長期のお墓のカタチ
1964年に開催された東京オリンピックが時代の目安としては良いでしょう。ここから日本は戦後の復興を遂げて大きな経済成長を果たしていきます。焼け野原になった国が30年足らずでGNP世界2位になり、好景気時代が続きます。この時代のお墓のカタチは今までのお寺のお墓から霊園のお墓へと少しずつ変化をしていきました。霊園は広大な敷地に緑を増やしたり季節ごとにキレイな景観を生む木々を植えたりしてひとつのテーマパークのように整備されています。大規模な霊園だと霊園見学ツアーが行われているほどでした。この時代には3㎡以上の区画も珍しくはなく、お墓の販売価格も300万円以上でも販売は好調でした。
バブル崩壊後のお墓のカタチ
1990年代に入り日本の高度経済成長は停滞を始めます。景気の停滞と長寿化により、人々は長く生きる為にリタイア後もお金が掛かるようになってきました。そうすると死後のお墓の為の掛けられる予算も減って来てお墓の販売も徐々に下降してきました。無くなった方を供養する事をやめるという事はなく、お墓は必要なままです。そうなるとお墓も3㎡以上の区画で販売していたものを2㎡にしたり、それ以下にしたりしてお墓の販売価格を下げていき消費者のニーズにマッチさせていきました。
家族のカタチの変化がお墓のカタチを変えた
家族のカタチも戦後日本は大きく変わりました。高度経済成長期まではひとつの家庭に子供が2人いる家庭も多く、3世代までは家族としてのカタチが担保できる時代でした。当然墓守(お墓の面倒を見る人)もいますから、お墓にも300万掛けていても不思議に思いませんでした。バブル経済崩壊後の家族のカタチは核家族化や都市集中型による親子の距離感も遠くなり、実家のそばに高価なお墓を持つことに対しても疑問を抱く人が増えてきました。お墓は家族のカタチに合わせて3世代が入れるお墓が必要ない世の中に合わせて面積を狭くしたりして価格も下げる工夫をしていきます。
まとめ
今後も家族のカタチの変化により、今後もお墓のカタチは変わっていくでしょう。時代とともに家族事情や経済状況が変化したとしても故人を想う気持ちは変わらないのが供養です。
横浜 お墓とご供養相談センター
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